同手の三段重がサントリー美術館に蔵されており、その解説文を引用したい。掲出との相違は、掲出の方がわずかに小さく、角を鋭角にして籠目をもたないあたりである。両者を比較すると、同じ工房で製作されたことは間違いなく、色味の不安定などの完成度からみて掲出の方が先行していると見たい。それに伝来した英照皇太后遺物の立場を勘案するならば、これが成功した喜び、そして時代の珍器趣向の反映が指摘されよう。蛇足ながら、英照皇太后(1834-1897)は孝明天皇(1831-1867)の女御であり、明治天皇の嫡母にあたる。
①『一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子』サントリー美術館.2009
蓋面や身の側面全体に、彫の浅い八角籠目文を施した三段重。無色透明の切子であることから従来、江戸切子として紹介されてきた。カット面が滑らに研磨されており、光を複雑に反射してやわらかな輝きを放つ。重箱という器種や、鉛ガラス製であることを考えると和製の切子には相違ないが、しかし産地については今なお議論の余地を残している。
②『和ガラス』サントリー美術館.2010
江戸でカット(切子)が施されるようになったのは、天保五年(1834)のこと。ガラス問屋加賀屋の文次郎という者が始めたという。当時、厚手で限りなく無色に近いガラスを作るには、高い技術を要した。江戸の人々は、ヨーロッパ製の高級ガラスや、或いは日本製でも良質なものや切子を施した器などを、「ギヤマン」(オランダ語のダイアモンドの意)と呼んだ。八目籠文のカットで全体を覆ったこの重箱は、江戸の粋人好みを反映する洒落た食器であったと思われる。