魚袋は廷臣が束帯を被着して参内するとき、石帯の右腰に垂らして身分を示したという唐制に倣ったものだが、中世になると実体がなくなり、近世になり復活したときには、木芯を晒した鮫皮で包んで金工の魚形を表裏に据えた形式に一定した。一定をみた魚形には鍍金と鍍銀の両様がみられ、表面の根緒の左右に各三尾、裏面に一尾の都合七尾が配され、魚形には鱗が彫りつけられた。
掲出は、魚形を「鮎」とし、一定の七尾のほかに、左右に各二尾の十一尾を据えている。魚形を異体とした理由や数を増やした理由を窺い知らぬが、「鮎」から想起されるのは、神功皇后の征韓になされた魚を用いたト占、「鮎」の名の由来ともなった故事だが、それが反映したものかも確かめえない。とりあえず、異形であることを報告する。