宝亀元年(770)、称徳天皇(718-770)は『無垢浄光大陀羅尼経』が説く鎮護国家と滅罪の深秘の功徳を信じ、大事業を発願し、陀羅尼を納入した百万基の三重小塔(百萬塔)を、十大寺(大安.元興.興福.薬師.東大.西大.法隆.弘福.四天王.崇福)に納めた。また、同時に、三重小塔(塔高.七寸五分.22.7㎝)の一万基ごとに七重節塔(一尺五寸.45㎝)、さらに十万基ごとに十三重塔(二尺二寸五分.68㎝)が造立された。そして同年、女帝はこの大事業を見届けたかのように身罷った。
以来、1200年余が過ぎ、現在に残るのは、法隆寺の45755基と、法隆寺から出蔵し、巷間に伝わる幾何かである。
million miniature pagodas
掲出は、通例の白色に彩色された三重小塔とは趣を異にしている。三層の内、一層と三層に赤、緑、青の着彩を加えている。このような彩色の例を他に見ることはなく、これを巷間で伝えた周辺には、「彩色のそれは、称徳天皇が自ら十基のみ彩色したもので、十万基を納めた十大寺ごとに一基を納めた、(掲出は)その内の一」と言う口碑だけが残された。その事実関係を立証することは不可能だが、先の節塔の存在からも、口碑の可能性を簡単には否定できず、まずは口碑を記しておきたい。破損が激しい相輪陀羅尼が塔内に納入される。