春日社には、明治の神仏分離時に廃された安居屋で用いていたと伝わる入隅四方で棧足の、器胎が薄く、独特の品格で知られ、春日盆、春日安吾屋盆と呼ばれる供物盆を用いた。古作の供物盆が巷間に伝存するのは、二十年ごとの遷宮の度に撤下され、信者に頒かたれたためである。
掲出の裏面には「中村雅真」の蔵印を押した所蔵印を押した紙片が貼られ、いわゆる雅真旧蔵の春日安吾屋盆と知る。裏面は縁部に鉈で削った痕跡を残して古格をあらわにし、さすがに雅真旧蔵と頷かせる。
南都古物に詳しい岡本彰夫は、中村雅真について「中村家は奈良の素封家。春日社・興福寺の財務を預かる唐院の承仕を勤めた家で、代々奈良の古器物を収集し、人をして「正倉院か雅真さんか。」とまで言わしめたほどである。(中略)さて今でも中村雅真旧蔵品は価値が高く、収集家にとってこの上ない安心感をもたらしている」。と解説する。(『大和古物散歩』岡本彰夫.ぺりかん社.2000.P103)