光格上皇(明和八・1771~天保十一・1840)と豪潮(寛延二・1749~天保六年・1835)による八万四千の造塔作善を見る。二人は、立場の違いは当然ながら、ほぼ同時代(江戸後期)を生き、天明の大飢饉の地獄を共有しており、八万四千の造塔に取り組んだ素因を予感させる。
さて、佛徒にとって八万四千の数字だが、通常としては、釈迦の八万四千の法門につながって、象徴的な非現実的な無量無限の数字と解される。
光格上皇の遺物(陶製陀羅尼塔)の実見は、管見にして二例目だが、塔姿は孝謙天皇の木製百万陀羅尼塔に倣っている。孝謙天皇は、恵美押勝の乱による混乱の鎮撫を目的に、宝亀元年(770)、南都十大寺に各十万体、総数百万の小塔を納めた。豪潮の鋳銅宝篋印塔は、刻銘(通し番号)から八万四千の作善の満願を実感させる。
二人は、現代人の信仰世界とは別の、神佛がすべてを支配していた世界を生きたわけで、今日の客観性を必然とする合理を分母に据えて割算する信仰世界とは異なる世界である。
二人は、架空の不可能を前提した数字を目標した。そしてそれを完遂してみせた。その強靭な意志を称えるほかない。二人の作善から後裔は何を学ぶべきだろうか、彼らの志と実践とを、個々の胸中に響かせて今を生きることではないだろうか。