雪をいただく富士を中心に据え、右に三保の松原、左に清見寺を配す。こうした構図は単なる名所図絵とは一線を画し、霊場としての宗教的な意味合いを本質とする。原本は室町初期まで遡るとされており、以降、富士山図の古典として多く描かれる。掲出には相阿弥の朱方印があり、写本としても古い室町期の作が想定される。
相阿弥(生年未詳~大永五・1525)は藝阿弥の子、能阿弥の孫。足利義政の同朋衆。名は眞相、別に松雪斎、鑑岳と號す。父に画を習い、周文、牧溪の画を慕った。また詩画や茶道にも造詣が深く、鑑識に精通していた。阿弥派の集大成というべき『君台観左右帳記』『御飾記』を完成させ、伝承作品は多いが実体は不明な点が少なくない。