早乙女兜鉢は、前後にふくらみがあって義通に似通った点があるが、側面から見た姿・側面の形によって一見して早乙女風と認識できる特徴ののもが多いが、黒漆が塗られていると矧板のふくらみ、筋立てのようすが稀薄となるので認識し難いものもある。
左図は正面から見た場合に祓立台・眉庇を除いた兜鉢だけはすこぶる義通風に見える。
ただし筋立のあり方、四天の鋲等から義通ではないことが知られるが、古い早乙女兜鉢以来早乙女系の特徴は、この姿の義通調の誇張にある。つまり義通は信家よりふっくらとしているが、姿に張りがあるが、早乙女系はそれに似ていても肩の張りに違いがあり、ときとするとそれの誇張故に力強さが弱まる感じがないでもない。
矧板はおそらく半分が盛り上げのように打出されたものであろうが、黒漆塗りによって漆盛り上げのように見える。また筋立も漆下に尅苧が盛られて、筋の強さが見られぬし、上部に行くにしたがって筋が低くなっているので、義通のような厳しさが感じられない。
響の穴の位置は高く、四天の鋲も小さい。づんぐり星である。眉庇は共鉄で下縁を捻返し、笠形の三光鋲は山形の谷の際に打たれている。祓立台は共鉄黒漆塗りで、前中央に矧目があり、上縁はいわゆる早乙女風で四稜刻みの略入八双形で、下に縦に二孔をあけている。下方は吉久形であるが、それより太目である。腰巻は垂直であるから、垂れおろしの日根野形シコロ●でも用いたものと推定される。
四天の鋲の位置が高いので、笠印付の鐶の座の穴が低くなっている。
兜鉢裏には「早乙女家久」の鐫銘がある。家久は『古今鍛冶早見出』の「早乙女系図」のよると九代目に当たり正徳頃と推定される。(『日本の名兜 下』300頁より)