雨森芳洲の関連資料がユネスコの「世界の記憶」として登録されたことは記憶に新しい。芳洲の生まれ故郷である滋賀県高月町にある資料館がその「記憶」の一部を管理するが、その中に掲出とほぼ同構図、「蘆江」「建桂」の落款も共通する肖像画が存在する。作者の詳細、制作時期は未詳ながら、芳洲晩年の姿容をよく伝えている。
雨森芳洲(寛文八・1668~宝暦五・1755)は儒学者。高月町雨森の医師の子として生まれ、十八歳で江戸に出て木下順庵に師事した。また対馬藩に仕え、二度の朝鮮使節来日の際に真文役(応接と外交を担う)として活躍し朝鮮外交に尽力した。