コウヤボウキの茎を束ねた箒で、同形の箒が正倉院に伝わる。
「子日目利箒」(ネノヒノメトギホウキ)と呼ばれるもので養蚕に用いる箒を玉で飾り儀式具としたものだが、明治時代になり養蚕が国策となり、これに応じてか、明治天皇の妃である昭憲皇太后は、皇居内に蚕座を設けて養蚕に親しまれた。
この皇后による養蚕の伝統は、現在の美智子妃殿下に続くが、掲出は実際の蚕の飼育に用いるべく用意されたもので、かの「子日目利箒」を模した箒とみられる。付属する彩色飾台は明治頃の正倉院の「子日目利箒の飾台」を模したもので素木の飾台は近年作。
なお、正倉院の「子日目利箒」は、天平宝字二年(758)正月初子日に東大寺から孝謙女帝に献納されたもので、孝謙天皇はのちには同じ玉箒を調進して廷臣に下賜された。
「初春の初子の玉箒 手に取るからにゆらく玉の緒」大伴家持・『万葉集』巻二十・四四九三。