長崎湾を中心に据え、台場や番所、海上には軍船を配する。大銃(佐賀藩での呼称に倣う)からは硝煙が噴出しているものの敵影がないことから、調練の様子を描いたものと考えられる。
鎖国体制下、特に列強の接近以降における長崎の警固は重要視されており、福岡藩と佐賀藩が隔年交代でその任に就いた。その様子を描いた絵図は数点ながら遺例があり、本作もその一と推察する。
本作には落丁があり、さらに貼る位置を違えた箇所が見受けられる。金砂子は後補、硝煙部分などに補筆を認めるが、当時の逼迫した外交情勢を伝える史料であることに相違はなかろう。