初期伊万里の大皿の魅力の発信は、大和文華館蔵の荒描(あらがき)山水(のさんすい)と俗称する大皿の発見に負うところが少なくない。鍔を持ち、深い見込み、それに反比例する小さな高台。それらが初期大皿の魅力を煽った。掲出の大深皿の称は、胴部の直線的な器形に依った。
古伊万里の研究家である山下朔朗は、その著作のなかで、大皿の発見が100点に及ぶと記録したが、40㎝強の大皿が何点なのか、内、鐔付が何点かなどの詳細を尋ねる機会を失くした。
掲出の大画面で気になるのは、五隻の帆掛け舟である。帆掛舟図は、初期大皿の数点に確かめられる。
有田で焼成された磁器物は、伊万里港から船に積まれて全国に運ばれ、「伊万里物」の呼称を得た。染められた帆掛け船に、伊万里港からの出舟の景色が望見される。