川喜田半泥子(明治十一・1878~昭和三十八・1963)の作風は「天衣無縫」「自由」と表現されるが、それとは裏腹に半泥子の半生は度々厳しいものであったといえる。一才で父を喪い当主の身となり母と離別した半泥子は、若くして川喜田家二百年の歴史と重責を背負って世界恐慌と大戦を乗り切らねばならなかった。多忙の間を縫って茶の湯や書画を学んで風雅に親しんだ彼が「子供の頃から焼物好」の才能を本格的に生かし始めたのは五十歳を過ぎてからであったが、実に三万点を越える作品を制作したと伝わる。
穏やかでおおらかな人柄をそのまま投影したといわれる作品は、古法にとらわれず歪みや窯割れをも生かした自由闊達さを持つ。それは幼少期よりの伸びやかな心を保ち続けたがゆえであろう。掲出作品においても、歪みの入った椀形をそのまま生かした作風である。