中秋の名月(10月1日) 灯りの展示会in琵琶湖ハウス(野洲)
陰翳礼賛に導かれ、往古の灯りがかなでる陰翳にあそぶ
中秋の満月の夜、115回オークションの下見会(11/9.10)に先行して、
「過去の灯器」に灯りを戻します。
会期 令和2年(2020) 10月1日(木) 17:00~20:00
会場 琵琶湖House 滋賀県野洲市須原696-1
どなたでも予約なしにご参加いただけます。
※115回オークション出品作品より「灯火器特集」作品を展示。
古灯器の骨董的な魅力はさておき、今回の試みは、電灯以前の古灯器が闇を照らした時代の陰翳に充ちたの灯の世界を実見する試みです。
古裂會は、日没を待って、石灯篭、灯篭、燭台などの百点余の古灯器に灯りを点ける。電灯が灯った瞬間に、用を失って捨てられた古灯器たちが暗闇のなかで蠢くのである。
闇のなかで古灯器に灯りを点けたが瞬間、その暗さに驚いた。それらの灯りでは、何も見えないのである。そんな実感に襲われた。肉眼で視認できる範囲の狭さと言葉を代えてもよい。しばらくして闇に目は慣れたが自由に歩くことなどおぼつかない。それは先人たちの視力と現代人のそれとの違いなのだろうか。いろいろ考えてみても埒はあかない。
闇の一隅を古灯器が照らす。そのとき電気の発明の偉大さを今更に感じ、私の谷崎の美意識への追随に徒労を覚えた。
近世(江戸時代)と近代(明治時代)の隔絶は電灯がもたらした。瞬時に、隔世を時代の断絶が、好むと好まざるにかかわらず一気に引き寄せられた。太陽の灯りに頼った生活から、人々は開放され、電灯が夜間を狭め昼間を増やした。闇は影を薄くした。
今回の伝統的な蝋燭だけを光源にした撮影の試みは、今日の写真機の光学的な高性能に助けられて現実化することができた。すなわち、写真機が記録した世界と、私たちが眼前にした実景とは大いに乖離しているのが実態である。写真のようには見えない。が、僅かな灯りが照らし出す、私にとっては未体験の世界がそこにあった。美の世界が闇とが共鳴した瞬間に立ち会ったと言いたい衝動に駆られた。